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Channel: 英国の偉人の生涯をたどる 『Great Britons』 - Onlineジャーニー
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「カンタベリー物語」の生みの親、ジェフリー・チョーサー

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■ 英国には、シェイクスピア誕生より遥か以前に、庶民の言葉で語り、市井の人々に文学の扉を開いた人物がいた――。偉大なる詩人・著述家であるジェフリー・チョーサー(上図)が作品に込めた、中世の社会・思想、そして男女関係とは? 今号では、チョーサーが歩んだ人生をたどるとともに、奥深い「カンタベリー物語」の世界に足を踏み入れてみたい。

●グレート・ブリトンズ●取材・執筆/本誌編集部

世界遺産にも登録された 英国最古の巡礼地

英国にキリスト教を広めた聖アウグスティヌスが眠る、聖アウグスティヌス修道院跡。歴代の大司教らが埋葬された。カンタベリー市壁の外にあり、ヘンリー8世による修道院解散令で閉鎖された。

水仙や桜が花開き、日を追うごとに日照時間も長くなり、英国特有の暗く長い冬が終わるのを感じる、この季節。心浮き立ち旅に出たくなるのは、600年以上前も今も同じなのかもしれない。
中世の頃から人々をひきつけてやまない土地と言えば、イングランド南東部ケントにある都市、カンタベリー。ローマ時代の城壁に囲まれた小さな街に、多くの観光客が訪れる最大の理由は、英国国教会の総本山「カンタベリー大聖堂」(写真上)にある。「神の館」「天国への門」とも呼ばれる大聖堂の起源は、6世紀にローマから約40人の修道士とともにキリスト教の布教にやってきた、聖アウグスティヌス(初代カンタベリー大司教)の教会建立までさかのぼる。その後、二度の火災によって再建・増築を重ね、英国最初のゴシック建築として知られる現在のものに姿を変えた。
内部を彩るステンドグラスの数々には、キリストやヘンリー2世、そしてここに訪れる巡礼者の様子などが描かれており、宗教観の有無を問わず、人々を放心させるほどの美しさを備えている。百年戦争の英雄・エドワード黒太子(Black Prince)やヘンリー4世夫妻が眠る墓など、見所はたっぷりあるが、何と言っても3本の剣が掲げられた一角に注目してほしい。ここは1170年、当時のカンタベリー大司教トマス・ベケットがヘンリー2世との確執の末、騎士たちに暗殺された忌まわしき場所。ベケットは大聖堂内の霊廟に埋葬されたが、彼の墓所のそばから出る霊水は「治癒力がある」と言われ、死者が蘇るなど数々の奇跡が起きたという。それゆえに死後、異例とも言えるわずか3年で聖人に列せられ、以降、英国屈指の巡礼地としてヨーロッパ中にその名が知られるようになった。中世時代のカンタベリーは、イスラエルのエルサレム、イタリアのローマ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラと並ぶ4大巡礼地だったのである。
ロンドンからカンタベリーまで、現在なら電車で1時間半、長距離バスに揺られても2時間弱と、ひと眠りすれば着いてしまう距離であるだけに、祈願や懺悔の心を抱え、幾日もかけて旅した中世時代の人々に思いを馳せるのは難しいかもしれない。それでも当時の旅の情緒を少しでも味わいたいなら、カンタベリーを訪れる前にぜひ目を通して欲しい書物がある――それは14世紀の偉大なる詩人、ジェフリー・チョーサーが執筆した中世文学最大の傑作「カンタベリー物語(The Canterbury Tales)」だ。

カンタベリー大聖堂内にあるエドワード黒太子の墓(左)。墓のそばには身につけていた防具等が展示されている。/大聖堂内陣の様子(右)。カトリックから英国国教会に変わった今も、総本山の地位を維持。ロイヤル・ファミリーの結婚式は、カンタベリー大司教が必ず執り行っている。
動画へGO!「トマス・ベケットの暗殺」についてもっと知りたい人は…

編集部制作のショートフィルムをご覧下さい。 https://www.youtube.com/watch?v=OZm7znN4vnM

戯言? 教訓?英国版「アラビアンナイト」

15世紀初めの写本「カンタベリー物語」の中から「バースの女房の話」のページ。

4月のある夜、ロンドンはテムズ河の東南岸、サザークの宿「陣羽織亭(The Tabard Inn)」。
ここに、聖人として崇められているトマス・ベケットの殉教の地、カンタベリーを目指す30人あまりの巡礼者たちが宿を共にしていた。それぞれ身分も職業も異なる人々だが、宿の主人は偶然にも同じ目的で集まった彼らに、退屈しのぎとして粋な提案をする。「巡礼の途、行きと帰りに1人2話ずつ話を披露しないか。もっともためになり、もっとも楽しい話をした者には、宿に戻った際の夕食をみんなでおごろうじゃないか」――。
こうして始まる「カンタベリー物語」には、14世紀に実在したであろう聖職者や庶民の思想、振る舞いなどのヒントが散りばめられており、ただの旅物語に留まらない未知の世界へと我々を誘ってくれる魅力がある。1066年の北フランスのノルマンディー公(のちのウィリアム1世 )によるイングランド征服以来、書物に使われる言語といえば、宮廷など上流階級の人々が使用していたフランス語と、書き言葉専用として用いられていたラテン語が一般的だった。そうした時代に庶民の話し言葉である英語で執筆された「カンタベリー物語」は、「英文学の礎」ともいうべき重要な作品なのだ。
巡礼者らが次々とショートストーリーを披露するスタイルは、ペルシャ王に妻が毎夜物語を語り聞かせるという手法で書かれた説話集「アラビアンナイト(千夜一夜物語)」に似ている。崇高かつ説教くさい話もあれば、庶民の間で流行っているゴシップ、思わず顔をしかめたくなるような与太話もあり、中世を舞台にした多様な芝居を見ているかのような気にさせられる。
とくに著者が男性だからか、女性や妻に対する愚痴や理想論はたびたび登場。5回もの結婚歴を持ち、色恋沙汰に関しては百戦錬磨というバースに住む女房が、男性陣に「いつ寝取られ男になるかとびくついて暮らすほど若く美しい女を妻にするか、真心と安心感のある年老いた醜い女を妻にするか」という究極の選択を投げかけ、神学生、豪商、近習らが結婚に対する様々な意見を交わし合う場面などは、当時の人々が夫・妻に求めたものや金銭的価値観、対人関係がわかり、興味深く読めるだろう。

19世紀に描かれた、カンタベリー詣でをする人々。騎士や商人、農夫、尼僧まで様々な人々が、道中の安全のために集団で聖地へ向かった。

王族に目をかけられた 順風満々な人生

「カンタベリー物語」の中には、チョーサー自身も登場人物のひとりとして出てくる。小太りでシャイだったとされる自分の姿を「腰格好が立派で、顔つきがぼんやりしている男」と自嘲気味に描写するなど、少々屈折した面も見られるが、キリスト教的思想が中心の社会で、罹患すると死に至るペスト(黒死病)が猛威を振るい、圧政と長期に及ぶ戦争が繰り広げられる中、いかにして豊かな想像力を得たのだろうか。
チョーサーの生年は諸説あるが、1343年頃にロンドンのシティに代々続く、裕福なワイン商の息子として誕生。庶民の公用語である英語はもちろん、初等学校ではラテン語を、家に帰ればフランス語を耳にするような(上流階級の顧客が多かったため)、当時としては恵まれた教育環境の中で育った。宮廷でも顔の利く父を持ったおかげか、チョーサーは初等教育を修了すると、当時の国王エドワード3世の三男で、エドワード黒太子の弟にあたる王子、ライオネル・オブ・アントワープの妻の小姓となっている。
1359年には、フランスとの百年戦争にライオネル王子とともに出征して捕虜となるも、エドワード3世が身代金の一部を負担し釈放されるという格別な措置が取られている。ここから察するに、チョーサーは王族に気に入られており、詩人としての才能を開花させる前に、すでに強い後ろ盾を得ていたように見える。
そして1366年、23歳頃にエドワード3世妃の侍女であったフィリッパと結婚。フィリッパは王の四男である王子、ジョン・オブ・ゴーントと「深い仲」であったとされ、また彼女の妹も同じくジョン王子の愛人になったことから(のちに3番目の妻となっている)、チョーサーは宮廷人として一目置かれるようになっていった。ジョン王子は、やがて詩人として活動を始めたチョーサーをパトロンとして支えていくことになる。

イタリアでの文芸復興
創作への目覚め

チョーサーがいつから創作を始めたのか定かではないが、結婚から数年後、王の側近を務めていた彼は、宮廷で開かれる昼・晩餐会にて「物語でもてなす」という天職に巡りあう。披露する物語はロマンスから喜劇まで幅広く、自作のショートストーリーを声高に読み上げ、宮廷人たちの歓心を得るようになった。ちなみに、1369年にジョン王子の最初の妻が亡くなった際に書いた哀悼詩「公爵夫人の書(The Book of the Duchess)」が、チョーサーの最初の作品とされている。
やがて外交使節としてたびたび赴いたイタリアで、ルネサンスを代表する詩人・人文主義者のペトラルカと親交を結んだり、同じく詩人のダンテやボッカッチョの傑作に触れたりして刺激を受け、イタリアに興った文芸復興の力強い息吹をみるみるうちに吸収していった。とくに「カンタベリー物語」は、「アラビアンナイト」に似ていると前述したが、実際にはボッカッチョの短編集「デカメロン」に登場する『十日物語』(フィレンツェで蔓延したペストから逃れようと街から離れた10人の男女が、気晴らしに10日間、毎日1話ずつ話をするという物語)の影響を強く受けた作品とされている。チョーサーはこれを巡礼の旅に変え、自身がそれまでに耳にした噂話や書物から得た逸話、そしてオリジナルで創ったとされる話などで構成したのである。
1374年にはロンドン港における関税と特別税の検査官となり、衣食住も給与も申し分のない報酬を受けていた時代は1385年まで続く。その後、イングランド南東部ケントに移った彼は、治安判事に就任。翌年には同地の議員を1年間務めた。そして、これらの職務の合間に「トロイルスとクリセイデ(Troilus and Criseyde)」や「善女列伝(The Legend of Good Women)」の刊行、「カンタベリー物語」などの執筆を重ね、詩人としての名声も着実に得ていった。
1387年に妻のフィリッパを亡くすという不幸に見舞われたが、間もなく王室関連施設の修理工事官に任命され、ロンドン塔やウエストミンスター宮殿といった重要建造物を多数手掛ける。階級制度が明白な時代に、「カンタベリー物語」に登場する上流階級から下層民まで、個性豊かな登場人物に息吹を与えることができたのも、生涯を通じて数多くの職務に就き、そこで出会った人々があってのことなのかもしれない。

19世紀の画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが描いた「デカメロン」。暇をもてあました女性たちに、男性が話を語り聞かせている。

「取り消しの言葉」にみる後悔と懺悔

15世紀初めの写本に描かれた、チョーサーの肖像画。

イタリアなどヨーロッパを飛び回っていたチョーサーは、妻と過ごす時間は多くなかったものの、2人の子どもに恵まれた。権力者のパトロンにも寵愛され、詩人としても成功し、華やかな人生を送ったかに思えるが、そんな彼も「老い」からは逃れられなかった。
晩年の10年以上を費やして書かれた「カンタベリー物語」は、30人あまりの巡礼者たちが当初の設定通り、カンタベリーへの行きと帰りに2話ずつ話をしていれば、全120話にもおよぶ超大作になっていたはずだ。しかし実際には1人1話ずつ、しかも全員が話すこともなく、全24話で終わっている。執筆半ばにして死を迎え、未完のまま終わったように見えるため、「未完の大作」とも呼ばれているが、実は巻末に、それまでの全著書の執筆を悔やむ「取り消しの言葉(Chaucer's Retraction)」が記されている。
「これらを読んで何らかの知恵が生じ、喜ぶべきものを見つけたのなら、イエス・キリストに感謝を。そうでなければ、著者の能力不足のせいにしてほしい」
自分なりに終止符を打っているようにも見える「取り消しの言葉」。妻亡き後、子も巣立ち、男やもめとして年金生活を送る中で、老いていく自分を実感していたのだろうか。執筆作業は進まず、だんだんと悲しみに暮れる詩が増えていき、生きることに幻滅して創作意欲をなくしてしまったという説もある。「カンタベリー物語」の最後のページは、この「取り消しの言葉」で幕が閉じられており、当時そして今に伝わる名声とは裏腹に寂しい晩年を感じさせる。
1399年、チョーサーは何かを予期したかのように、ウエストミンスター寺院の庭園内に家を借り、翌年10月25日に死去。享年56~57だったとされる。そのまま同寺院に埋葬され、現在は英文学史における中英語期の最大の詩人として、詩人の墓所(Poets' Corner)で眠りについている。多くの観光客が日々訪れる同所なら、きっと寂しさを感じている時はないだろう。

「カンタベリー物語」傑作3選 あらすじを紹介!
美姫をめぐって争う騎士の話/The Knight's Tale

アテネの君主テーセウスは、北東に位置するテーベでの戦いの末、2人の傷ついた騎士、アルシーテとパラモンを捕らえる。彼らは敵の王族出身だったため、自国に連れて帰り、生涯、牢の中で暮らすことを命ずる。
牢獄で絶望に暮れる中、ある日、塔の窓から王妃の妹の姿を目撃。あまりの美しさに一目ぼれした2人は、互いに敵対心を燃やす。やがて、ひょんなことから出獄の許しを得たアルシーテは「アテネに一歩でも足を踏み入れれば打ち首にする」という約束をテーセウスと交わしたにも関わらず、素性を隠して宮廷に戻り、姫君の小姓となる。一方、塔に閉じ込められたままのパラモンは叶わぬ恋心と悲しみに気も狂わんばかりとなり、ついに脱獄を図るが…。

騙されて樽の中で暮らす夫 粉ひき屋の話/The Miller Tale

下宿屋を営む年老いた大工には、若く美しい妻がいた。嫉妬深い大工は、妻に悪い虫がつかないようにと日夜、気が気ではないが、彼らの家に下宿していたオックスフォード大学の学生は大工の目を盗んで若妻にちょっかいを出すようになる。
やがて意気投合した学生と若妻は、大工に内緒で一晩をともに過ごすために「神のお告げ」と称し、大工にとんでもない嘘をつく。計画はうまく言った様に見えたが、そこにもうひとり、若妻に夢中の教会書記が現われて…。
真っ赤な嘘に翻弄される哀れな老大工と、恋に狂う「第3の男」に屈辱のしっぺ返しをされる学生。一笑に付すには痛すぎる、あきれ話。

悪党3人による金儲け 免罪符売りの話/The Pardoner's Tale

フランドルに住む大酒飲みの悪党3人が、人間に「死」をもたらす死神退治に出かけ、大金を発見する。
祝宴を開くために、一番年下の男に酒を買いに行かせ、その間、残りの2人は自分たちだけで大金を山分けしようと、その男の殺害を企む。一方、その年下の男も財宝を独り占めしようと、2人の毒殺を計画していて…。
教会に寄付をした人に与えられる「免罪符」(死後天国に行けるという保証書のようなもの)を売る免罪符売りらしい、欲を出しすぎた人間に下る天罰についての話。

Travel Information

(2019年4月16日現在)

カンタベリーへの行き方アクセス

電車:カンタベリーには、Canterbury West駅とCanterbury East駅がある。Westの方がロンドンから行くと手前にあるが、中心街に出るにはEastで降りる方が便利だ。ロンドン・ヴィクトリア駅から所要1時間半ほど。

長距離バス:ロンドン・ヴィクトリア・コーチ・ステーションから所要1時間45分ほど。交通事情にもよるが、電車を利用するのとそれほど時間は変わらない。カンタベリーのバス停は中心街のすぐそばにあるので、かなり便利。

車:A2を南下し、ジャンクション1でM2に入り、ジャンクション7で再びA2に入る。市壁の回りはラウンド・アバウトがいくつも続き、中心部へ入るところを見逃しがちになるので要注意。所要1時間半ほど。

「カンタベリー物語」を楽しむならココを訪れよう!

The Canterbury Tales

St Margaret's Street, Canterbury, Kent CT1 2TG
Tel: 01227 696002
www.canterburytales.org.uk
営業時間:
4~8月10:00~17:00
9~3月10:00~16:00
(11~3月は水~日曜のみ営業)
料金 :
大人 £10.95
子ども £8.95

「カンタベリー物語」の世界を体験できるアトラクション。旅の始まりは物語同様、「陣羽織亭」から。ヘッドホン片手に中世の町並みを歩けば、巡礼者のひとりになった気分で物語の世界を堪能できる。日本語ガイドもあるのでご心配なく!

週刊ジャーニー No.1082(2019年4月18日)掲載


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